犬の断耳の賛否-「誰のため?」

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重要な人物と思われたい。ハンサム・キレイと言われたい。素敵な人にみられたい。人間の持っている欲求の1つ。

例えば、人がクローゼットの中で一番素敵な服を着て出かけるのは社会的な理由が大きい。

①見た目の印象が大切。重要な人物に思われて社会的競争に勝ちたい。「こんなにイケてる服を着ているオレは、あなた達より1歩も2歩も先に進んでいるんだ。」

②会う相手へ敬意の表し方を知っている私。イコール、大人の振舞いを心得ている私。「こんな大人な私だから、あなたは安心して私とビジネスできます。」

見た目というのは人間にとってとても重要なことだ。

次に、犬の断耳について考える。断耳する最も大きな理由が、犬がキレイな顔立ちになるから。では、断耳された犬にとってベネフィットはあるのだろうか?

①他の犬に対する見た目の印象は良くなるのか?断耳で異性を引き付けるだろうか?犬社会の競争を有利に進めることができるか?犬社会では何の意味も無い。よって、ベネフィット無し。

②他の犬への礼儀、敬意?全く関係ないのでベネフィット無し。

ところで、機能的には断耳は必要か?他にも断耳していない犬種はある。耳が覆いかぶさっているからといって大した問題じゃない。他の非断耳犬同様、飼主が掃除してあげればよい話。これらを踏まえると機能性の観点から、断耳はどうしても必要とは言えない。

犬自身へのベネフィットは見られない。では、愛犬を断耳した飼主にとってのベネフィットはあるのだろうか?

①断耳された犬の見た目が好きなのであれば、愛玩犬として飼主に一定の満足感はもたらすだろう。似たようなものの例をあげると、家に飾る絵画。ショウーケースに入ったフィギュアなど。ベネフィット有り。

②「断耳された素敵な犬」として他人に羨ましがられる。(一部の愛犬家は「断耳なんて虐待だ!」ぐらいに思っている)これは所有物からもたらせられる自尊感情とも言える。例えば、高級バッグ。高級車。ベネフィット有り。

飼主にとって一定のベネフィットは有るようだ。

間違えないでほしいのは、「どちらが正しくてどちらが間違っている」じゃないということ。誰でも、人間は所有物から得られる満足感への欲求をもっている。だから町で一番高いビルが建つし、作家は面白い小説を書く。他方、犬を痛い目に遭わせるという罪悪感に苛まれて断耳しない人もいる。

あなたはこの両極の間で、どちらにより傾くかというだけの話し。どちらに傾いたからといって他人から非難されるべきじゃないし、日本では断耳が禁止されているわけでもない。

では、話を戻して。ここまでの話をまとめると。

大半の人間は他人に良く見られて社会的に優位に立ちたいと考える。でも、犬自身には断耳によるベネフィットは無い。ただ、断耳した犬の飼主には一定のベネフィットがありそうだ。

ここから見える傾向として、断耳賛成側に傾くというのは、①飼主が断耳された犬の容姿が好きだということ、そして②素敵な犬を連れていることで飼主の自尊心が高められるから。

仮に、悪魔の代弁者を演じて断耳賛成派に質問するとしたら、「 愛犬を断耳することによりもたらせる飼主へのベネフィットは、犬に与えられる痛みを差し引いた後もプラスとなるか?」だろう。

あなたはどう思いますか?

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3件のコメント 追加

  1. 藤岡 久美江 より:

    所有物、物としてしか捉えてない?
    日本の法律でも物扱いなのが悲しいと思います。

    いいね: 1人

    1. YOSHI Kondo より:

      ドッグショーでは断耳がマストの犬種がある、ペットショップで動物をケージに入れて売る。喜ぶ人間がいるからなかなかなくならない。まだまだ法律も動物の扱いも人間目線。どうしたらみんなもっと考えて そして気がつくのだろう?

      いいね

    2. YOSHI Kondo より:

      そして、コメントありがとうございます。

      いいね

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