犬に服を着せる-やり過ぎか?

人間の生きる環境に適応させられた、もう野生の生き物ではない犬達に対して、「犬よ、毛皮着てるのだから寒さだけは、我慢しなさい。本来、犬は服なんて着ないはずだ」というのは都合が良過ぎる。人間のエゴで犬を今の犬にしてしまったのだから最後まで面倒をみるのがスジだと思う。

必ずくる犬との別れ。そして、それまでにやること。

「禅」という映画。鎌倉時代の道元禅師の話。映画の中で、1人の女性が道元に瀕死の赤ん坊を助けるよう求める。それに対し道元は、「1つだけ救う方法がある。町中の家庭を訪ね、一度も親戚・家族を失ったことのない家庭を見つけなさい。そして、その家庭から1粒の豆をもらって来なさい」と。ご存知の通り、「一度も親戚・家族を失ったことのない家庭」なんてあるわけないんです・・・

犬は「死」を理解するのか?

犬の遺体と家に帰った時、チリ(残された犬)は状況を上手く呑み込めていない様子だった。数時間前まで一緒に生活していた犬は毛布に包まれたまま動かない。でもチリはいつもの様に近寄って確認を始めた。

「ライ、安らかに眠れ」R.I.P.

先日、ライ(ドーベルマン)が逝った。8歳と8か月だった。いつものように奥さんと、チリ(ローデシアンリッジバックの2歳)と、私で朝の運動をしていた。それは、トータル2分間ほどの一瞬の出来事だった。(中略)
奥さんがライの口へ人工呼吸、私が心臓をマッサージ。全く反応がない。奥さんも私も半分泣きながら大声で「ライ!」と呼ぶが反応無し。無情にもライの目の色が徐々に薄くなっていくように見えた。まるで、魂が抜けていくよに・・・。

コロナに負けないために

こんなコロナ騒ぎな時こそ大切な事がある。ある人曰く、「自分がコントロールできないことを心配しても意味がない。自分に出来ることを考えて猛烈に行動するだけだ」ウィルスに負けない体を作るには、睡眠、運動、食事、家族(犬)とのふれあい。こんな時だからこそ大切な事は何かを問う。そして、猛烈に行動する。当たり前すぎて笑われるかもしれないけど、いつ来るか分からないもっと最悪な事態に備えるためにはコレだと思う。

犬のバカさ=強さ。

私達人間は、食物連鎖の頂点にいる。体力的には他の動物達に劣る。でも、我々の先祖は、仲間や家族がトラやクマに捕食されながら「考えて」「考えて」捕食されないように工夫して生きのびてきた。
「考える」ことを自分や家族を守るメカニズムとして。
現在、トラやクマに捕食されることはほとんどない。でも、私達の「考える」は止まらない。私達は、「考える」から飛行機が飛ぶし、名作映画が生まれる。ただ、「考える」が暴走すると自分を苦しめることにも。犬のバカさに学ぶこともある。

犬に襲われた時の深い「無力感」

減少傾向にあるとはいえ犬による咬傷事故は無くなっていない。今回は未遂だったけど最悪のケースを想像すると恐怖と怒りが込み上げる。被害者になっても加害者になっても不幸だ。私達飼主は日ごろのしつけとルール遵守を心掛けたい。

愛犬より先に逝く罪

「愛犬との別れ」は犬を飼うというプロセスの中でで必ず発生するイベント。ましてや「いつ、そしてどこで発生させよう!」なんてコントロールできない。ただ、どうしても1つ避けたいことがある。それは、
「犬より先に逝く」こと。

犬の「げり」に早く気付く方法

犬の突然の下痢。必ず原因があるはずだけどなかなか特定が難しい。でも最近、下痢の前兆があることに気が付いた。このような症状がでたら我家ではすぐに緊急処置します。

家から犬が居なくなったら・・・

犬の存在感の大きさは犬が居なくなって初めて分かる。犬が居ないと家の中が大きく変化する。家の大切な部品が欠けているような感じさえする。犬が居る生活って何だろう?犬が居ない時に考えてみた。