都心から離れて自然の残る土地に引越す決断をした。どんなところ?と友達や家族に聞かれるとこのように答える。
「その土地には自然が残り、きれいな川も流れてるため、多くのキャンプ場がある。その土地の一番奥にある最後のキャンプ場は少々さびれている。僕たちはそのもっと奥に住む」
半分ぐらいの人が「えっ!」という顔をして「大丈夫?」と聞く。その驚いた顔を見るのが結構楽しい。
もちろん、不便さを受け入れる覚悟が必要である。都会の便利な生活を享受することはできなくなる。夜は野生の動物がせっかく栽培した野菜を荒らすかもしれない。(その前に本当に野菜なんか作れるのか?)一番近いコンビニは車で15分はかかる。田舎の15分である。信号は3つほどしかない。距離にすると結構ある。
ではなぜそんな所に引越したいのか?理由は単純だ。犬が喜ぶからだ。違った言い方をすると、喜ぶ犬を見ている自分がハッピーだからだ。
サラリーマンの癖で、不便さと自然の中に住む幸福度を比較したくなる。でもそんな比較をすることがナンセンスだと気が付いた。住んでみないと本当のところはわからないからだ。幸福度の方だけ見て飛び込めばよいのだ。「不便さを楽しむ」なんていうのは、少々ナイーブな考えであると感じる。
人生の半分を過ぎて、できるだけ自分の好きな生き方をしたいと思うようになった。コロナ禍が最後に肩を押してくれたのかもしれない。