「子供を育てる経験が無いと人間は成長できない。」
と言う人がいる。人間は苦しみや苦労があるからこそ成長できるとの考えに基づくと、子供を育てたことがある人は無い人に比べて苦労が少ないということになる。
そうは思わない。
子供が居ない人には、異なった種類の苦しみ、苦労があり子育ての苦労だけが人を成長させるとは言えないからだ。
それでも多くの人が 「子供を育てる経験が無いと人間は成長できない。」 と考えるのはなぜか?
血のつながった個体(子供)を育てるということに何か特別な意味があるのだろうか?
逆に、血のつながっていない個体(犬)を育てることは人間の成長に貢献しないのか?犬は人の代わりになるか?
1.血がつながっていなくても愛情を注ぎ、大切に育てる。
親から子への暴力、放置、性的虐待のニュースがTV、そしてインターネットから入ってくる。
血のつながった実の子への許されない行為である。
同様に飼主の犬への虐待、そして勝手な理由で犬を捨てる飼主はいなくならない。
血のつながりの有無に関係なく虐待は起こる。虐待は、
その個体の成功を願う気持ちより、自分の欲望を満たすことが勝ってしまった時に生まれると思う。
簡単に言うと、「相手のことを大切に思わない結果」ではないか?
犬を虐待してしまう飼主は、自分の怒りの矛先を犬にぶつけて解消してしまう。時間をかけてしつけることにより問題を解決するのではなく、短期間に怒り解消する欲望に負けて虐待をする。
逆に、犬のしつけの為に膨大な労力と時間を費やす飼主、経済的な犠牲を伴いながら、犬の健康の為に便利な都会から自然の多い土地に引っ越す飼主、このように血のつながった子供同等の扱いをする飼主も多くいる。
血がつながっていなくても、子供の様に愛情を注ぎ育てることは可能ではないだろうか。
火事の家に取り残された子供を助けに行く親と、取り残された犬を助けに行く飼主。どちらの比率が多いのだろうか?
2.個体を育てることで「成長するか否か」は、個体との血のつながりの有無に関係ない。
血のつながりが有ろうか無かろうが、その個体(子供・犬)を本当に大切していれば、その個体を育てるのに大きな苦労が伴う。
なぜなら、「成功してもらいたい!」と個体の成功を心から願うことこそが愛情だから。この愛情、思い入れがなければ、手はかけない、しつけも中途半端、コミュニケーションがうまくいかなくてもあきらめがつく。苦労だって半減する。
一人の「人間」が社会に出て一人で生きていくために学ぶことは「犬」の生活とはくらべものにならないぐらい複雑であり、それを手伝うのは大きな苦労である。
しかし、言葉で意思の疎通のできない犬をしつけるのも、大きなフラストレーションであり、人間への教育とは違った苦労がある。
どちらがもっと苦労するかを議論するのはナンセンス。
対象が何であれ、その個体を愛し、大切に思えば思うほど、苦労はより大きくなる。
「子供を育てる経験が無くても、犬を大切に育てる経験により人は成長できる」
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