ブログに、「飼主としてリーダーシップが必要」(①)というトピックについて書くことがあります。これに対して、皆さんから様々なフィードバックをもらいます。どれも頷けるものばかりで、本当にありがたい。
フィードバックは幾つかのカテゴリーに分けられる。その一つに、「リーダーシップという言葉に抵抗感がある」「リーダーシップなんて上から目線で本当の信頼関係は築けない」(②)という考え方がある。①と②の考え方を要約すると・・・
①「何が許される行動で、何が許されない行動か。そして、いつ許されるか(適切なタイミング)は、飼主が決める(飼主主導)。社会の一員としてのルールは教える。これが愛情。」
②「犬も家族の一員なのだから、犬の主導(リード)にまかせてすべての要求に応えてあげることが愛情。これにより真のパートナーシップが築ける。強い信頼関係もそこから生まれる」
みなさんからの「単純化しすぎ」との指摘を恐れずにいうと、
犬主導?それとも 飼主主導か?
という事になるのではないでしょうか。
犬の飼育の仕方なんて、それぞれの考え方があるのが当たり前だと思うし、他人の考え方を変えようなんて思わない。「これこそが正しい」、逆に「これは間違い」であると結論づけてしまう前に、自分と異なる意見を持つ人の立場に立って考える必要があるだろう。
そこで今回は、自分の考えを整理すると共に、もう一つの意見についても少し深く考えてみたいと思う。そして最後に皆さんのご意見を伺いたいと思います。質問は本投稿の最後に。
まずは、自分が支持する考え方から紹介します。
①飼主主導
犬にはルールが必要。私達飼主の責任は、このルールを決めることから始まる。そして、それを犬に守らせる(犬が守れるようにしつけをする)こと。
「ルールを決める」を少し掘り下げると、犬と生活する上で飼主が望むこと、逆に望まないことをルール化するということ。 例えば、
「犬は食事の催促をしない」。「お腹が減ったよー。ワンワンワンワン!」は禁止。
「キッチン、ダイニングには入らない」。人間の食事を準備するところ、人間が食事をとるところへは立ち入り禁止。
「人間のベッドには上がらない」
上記が正しいルールであるかどうかはここでは議論の対象ではありません。各家庭には違ったルールがあってしかるべき。大切なことは、犬が自由奔放な行動を示さないように日々しつけをするという事。
次にタイミングです。例えば、食事の順番を待てない犬がいたとします。
「早く食べたいよー。ワンワンワンワン!」といつも催促しています。
要求にすぐに応えるのではなく、静かになるまで食事はお預け。飼主が望む行動ができたら、そのタイミングで食事を与えて、正しい行動を強化します。(飼主主導)
このように、何が許される行動であるか、そして許すタイミングは飼主主導で決めます。これにより、犬は自由奔放に行動するするのではなく、「ルールに従う必要がある」という事を習得する。
犬が社会の一員として生きていくには、家の中ではもちろん、外に出てもルール、そして求められる行動があり、それらを守る必要があることを教える。それが飼主の責任であり、犬に対する愛情である。
②犬主導
犬は私達にとって家族の一員なのです。彼らは、人間と同様に扱われるべきです。
人間の赤ちゃんが泣けば、親は赤ちゃんの要求を察知してすぐに要求を満たしてあげます。犬も人間の赤ちゃん同様、言葉は喋れません。飼主が犬の要求を感じ取り、いつでも要求を満たしてあげるのが飼主の責任であり。愛情です。例えば、
犬が朝早くに散歩に行きたいと要求すれば、それはトイレに行きたいという事かもしれないので、自分がまだ寝ていたくても起きて散歩に連れていく。
犬だって、人間同様暖かくてフカフカのベッドの上で、大好きな飼主と一緒に寝たいのです。ベッドシーツが汚れてしまうし、窮屈なので少々抵抗あるが、飼主と一緒にベッドで寝たいと要求すれば、ベッドをシェアするのは当然。
愛情とは、たとえ手間がかかっても、私達が窮屈に感じても、犬を第一に考えて要求を満たしてあげることです。このように犬を慈しむ思いを持ち続けることで、犬は同じ愛情を私達に返すのです。
犬とは、対等な関係を持つべきで人間が上から目線で、あれこれと縛り付けるものではありません。対等な関係をもつことで本当の信頼関係を構築できるのです。
皆さんの意見をお聞かせください
①飼主主導と②犬主導、2つの考え方を紹介しました。
どちらの考え方も犬に愛情を注いでいます。
皆さんはどちらの考え方により賛同しますか?↓のコメント欄に①、②、または③でご回答くださると幸いです。
①飼主主導でルールを設定。犬だって社会の一員としてルールを守る必要がある
②犬主導で生活のルールを設定。犬の要求を満たしてあげる事で信頼関係を構築できる
③どちらともいえない